寄稿文Connection

「創業45周年に寄せて」

デビッド・オースチン・ロージス 契約ガーデナー
ローズスペシャリスト
平岡 誠

世羅高原農場さんとの出会いはもう10年近く前。突然、大阪府泉南市のイングリッシュ・ローズガーデンに単独で現れた代表取締役・吉宗誠也さんとの出会いに端を発します。「世羅」という地名すら聞いたことがなかった私は正直多少の怪しさ(笑)を感じながら、この時はお会い出来ませんでした。後日、広島県世羅町の世羅高原農場で吉宗さんと会うことになりました。それから数回のミーティングを重ね、私が農場全体のコンセプトに合致したバラの植栽案を作ることになったのです。

その頃、バラ好きの方々をイギリスにお連れするツアーを企画することが多かったのですが、お連れしたお客様が大喜びしてくださる場所は、どんなバラの名園よりもデビッド ・オースチン社の圃場、つまりバラの苗を作る畑であったことに、自分自身不思議な喜びを感じていました。もちろん、まだ名前もついていない、新品種の花が観られることも大きな魅力だったとは思います。ただ、畑なのでまだ株は大きくなっておらず、バラの全盛期であっても一株につき花は数輪しかついていません。しかしながら、ひと品種につき何百株という数の多さが、さながら北海道富良野のラベンダー畑のような「花の風景」となり、バラのマニアのお客様に感動を与える風景であったのです。

この頃の世羅高原農場は、良くも悪くもチューリップとひまわりを圧倒的なボリュームにより、圧巻の花風景を作り出す、いわゆる「マスプランティング」が農場全体の売りであり、それが実際に人気でもありました。しかし、世間で続く「ガーデニング・ブーム」は大雑把に言えば“さまざまな植物をあわせて美しい空間をつくりだす”というもので、圧倒的な植栽本数で観客の度肝を抜くというのは、いささか大味な気がしていました。いわゆるガーデニング・ファン、もしくはロザリアンと呼ばれるような、ガーデン植物やバラの組み合わせの妙を楽しむ、いわゆる「マニア層」と呼ばれる方々の意識とは少しズレている、と考えるところがありました。

この「マニア層」の方々にも楽しんでいただけるバラ植栽を考えなくてはならなかったのは言うまでもないのですが、「花好き」もしくは「花の咲く風景が好き」と言う層の方々の数と比べると、マニア層はおそらく数十分の一にも満たない数かもしれません。あるいは、美しい花の風景を観て心が和まないという人の割合はほぼゼロに近いのではないか、と吉宗さんとも話しました。

そこで、マニア層の方々に出来るだけ喜んでいただくプランはもちろんですが、大多数の人の心を持った人(笑)に共感していただけるプランに、ある程度の「マスプランティング」というのは一つの解になるのではないか、と先に書いたイギリスツアーでの経験が思いつかせてくれました。

幸い、イングリッシュローズの特徴であるいわゆるシュラブ樹形(こんもりとした茂みのように育ち、支柱などの支えがなくても自立できる樹形のこと)は「マスプランティング」とも相性が良く、満開の時期にはそれこそ“バラ畑”のようにバラが敷地内で弧を描き、連なって咲き誇ります。世羅高原の透き通った青空をバックグラウンドに、豊かな香りとともに、毎年人々を楽しませてくれています。しっかりとした樹形に育つまでには何年もかかるということを考えると、やっと円熟味が出てきたローズガーデンだと言えます。

ただ、そもそも吉宗さんに「バラ」と言う植物に興味を持っていただけたのは、バラがいわゆる旬の5〜6月だけでなく、秋にも鑑賞のヤマが来ると言う点も大きかったと思います。事実、将来的には他の花木の植栽も足していき、バラの季節以外でも風景を楽しめるようにしていきたいとの秘めた計画を何回も口にされていました。それは部分的には実現し、これからも発展していくものと信じております。

最近、なぜ世羅高原農場が他の花観光スポットと比べて注目度があがるのか(もちろん、ひいき目もありますが)をはたと考えてみたことがあります。他の花観光スポットにおいて、農場と同じ種類の植物の植栽でみせているところはたくさんあります。一つのところが特定の植物で大ヒットし、注目度があがると、こぞってそれを使って集客を試みるようなのですが(もちろん、世羅高原農場が全くそのような事をしていないというわけではありませんが)、単発的に切り取るので、その花のシーズンが終わると「ハイ、終了」になってしまいます。

話は少し変わりますが、古くから園芸文化が花開いた国は、洋の東西で日本とイギリスといわれています。なぜ地理的位置では東西で両極端といえるこの2つの国で園芸文化が花開いたかといえば、その共通項のひとつに「明確な四季があり、その四季の移り変わりを愛でる文化的素養」が両国の中でそれぞれ育まれてきたということが言えると思います。

いわずもがな、園芸のみならず日本人はその生活様式や文化的素養を四季の中で深め、感じて生きてきた民族で、片やガーデニングの本場ともいえるイギリスでも、同様に明確な四季があり、その園芸文化の中で大規模なガーデンがいくつも作られました。それらのガーデンを見て回るのは、1日かけてもたりないところがほとんどです。その中の植栽は多種多様であり、一つのガーデンの中で四季の移り変わりが感じられるところが非常に多いのです。ガーデンの中にはゆったりできるカフェなどがあるところがほとんどで、数日滞在すると「おや?あのお年寄りは昨日も同じところに座っていたな?」と気づくこともしばしばです。暇にまかせてと言ってしまえばそれまでなのですが、おそらく年間で相当な日にちを来場されているのでは?と思ってしまいます。大げさな言い方をすれば、この人はその文化的バックグラウンドの中で、心の奥で感じることができる四季の移り変わりを楽しみに来られているのではないでしょうか?もちろん日本でもその生活の中で四季を感じて感動する場面はたくさんあります。しかしながら、日本の多くの地域で夏がダラダラと長くなり、春と冬が一瞬で過ぎ去るような気候になってきた昨今、昔ながらのはっきりした四季が感じられる地域はかなり少なくなってきたのではないでしょうか?

世羅高原農場は標高500mに位置し、世羅町の中心地から比べても年間平均で2~3度ほど気温が変わります。私が子供の頃、大阪の平地では寒くて寒くて外に出ると(特に夜は)何かピーンと張りつめた気温を年に何日も感じることができました。しかし、ここ2、3年ほどは寒くて外での作業が苦しい日というのが、大阪の平地ではほとんどなくなってしまいました。

世羅高原農場でバラのプロジェクトが始まって、10年弱。世羅高原という地域は日本で残された数少ない「四季を強く感じることができる」地域であることを、それぞれの季節に滞在し、自分自身の肌で感じることができました。

世羅高原農場グループとしては
「花夢の里」の芝桜とネモフィラ、あじさいとタチアオイ、ヘブンリーブルー、コキアとコスモス
「世羅高原農場」のさくら、チューリップ、ひまわり、ダリアとガーデンマム
「せらふじ園」のふじとルピナスなど、

日本の広島県にいながら、さながらイギリスのガーデンのように、ほとんど同一の場所で、本来の日本の四季の気候により自然を感じることができます。まさにイギリスのガーデンに毎日現れる老人のように、四季を感じることができるのです。大げさに言えば「日本で暮らす人生」を感じることができる場所を創り出してきた年月だったような気がします。少なく考えても数千年の間に育まれた、日本人の四季を楽しむその魂ともいえる、ココロを満たすことができる場所。その存在が他の単発花観光スポットとは一線を画すといえるでしょう。微力ながらその一翼を担うことができたのは、非常にうれしい限りです。

50周年にはいよいよ他の追随をゆるさないところにまでいってしまうのでは?と楽しい創造をしてしまいます(笑)。

デビッド・オースチン・ロージス 契約ガーデナー
ローズスペシャリスト

平岡 誠

プロとして25年のイングリッシュローズ植栽歴をもつローズ・ガーデン・デザイナー、ガーデンの中でイングリッシュローズがどのように育つかを知る数少ないガーデナーの一人。
2005年8月より3年間、国際協力事業団のバラ戦略短期専門家として、ブルガリアのカザンラク(通称:バラの谷)に派遣され活躍、その後2006年よりデビッド・オースチン・ロージズ株式会社に入社、2011年よりテクニカル・スペシャリストとして、各所のバラ園、個人のバラ庭園などのデザインと、バラ栽培のレクチャーをメインに活躍。
2021年より育児のために社外契約ガーデナーとなり、社員として在籍時と同様の活動をしている。